長勝寺〜晩秋の鎌倉散策その6 [鎌倉花散歩]
安国論寺での撮影を終えて、長勝寺に向かいました。
名越の踏切を渡り、横須賀線に沿って水道道を進めばすぐ左手にあります。
ここも日蓮宗の寺です。
墓地に大きな銀杏があり、青空を入れて見ました。PLフィルターを使用しています。

手前は法華堂、奥は鐘楼の屋根。


鐘楼の裏手から石段を登り、法華堂の屋根を見下ろす位置から。

長勝寺は鎌倉時代の武将でこの地の地頭職であった石井長勝(いしいながかつ)が、日蓮のために小庵を立てたことに始まると言われています。小庵は法華堂と呼ばれ、のちに本圀寺(ほんこくじ)となりました。
本圀寺は室町時代に京都に移り、荒地になった寺を日隆上人が復興し、石井長勝の名をとって石井山長勝寺として今に至っています。
墓地にルリタテハがやってきて、墓石や墓碑銘の上にとまっていました。
きっと太陽の熱で石が温められて、あったかいのだと思います。
翅を閉じているときは地味な蝶です。

広げると綺麗な瑠璃色の翅になります。
そこで一句。
凍蝶(いてちょう)は墓碑銘の上動かざり

法華堂の屋根と銀杏

[11月5日撮影]
名越の踏切を渡り、横須賀線に沿って水道道を進めばすぐ左手にあります。
ここも日蓮宗の寺です。
墓地に大きな銀杏があり、青空を入れて見ました。PLフィルターを使用しています。

手前は法華堂、奥は鐘楼の屋根。


鐘楼の裏手から石段を登り、法華堂の屋根を見下ろす位置から。

長勝寺は鎌倉時代の武将でこの地の地頭職であった石井長勝(いしいながかつ)が、日蓮のために小庵を立てたことに始まると言われています。小庵は法華堂と呼ばれ、のちに本圀寺(ほんこくじ)となりました。
本圀寺は室町時代に京都に移り、荒地になった寺を日隆上人が復興し、石井長勝の名をとって石井山長勝寺として今に至っています。
墓地にルリタテハがやってきて、墓石や墓碑銘の上にとまっていました。
きっと太陽の熱で石が温められて、あったかいのだと思います。
翅を閉じているときは地味な蝶です。

広げると綺麗な瑠璃色の翅になります。
そこで一句。
凍蝶(いてちょう)は墓碑銘の上動かざり

法華堂の屋根と銀杏

[11月5日撮影]
見事な銀杏の黄葉ですね。
by テリー (2017-11-26 21:04)
テリーさん
この日は快晴だったので、銀杏の黄色と青空とが対比となってそれぞれの色を際立たせていました。
by レイン (2017-11-26 23:41)