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川崎市・日本民家園 その2 [建物]

川崎の日本民家園レポートの続きです。
信越の村ゾーンから関東の村ゾーンへと歩みを進めました。
夕方にさしかかり、日が傾きかけてきたので、駆け足での撮影でした。

旧作田家。旧所在地は千葉県山武郡九十九里町。
地引き網漁の網元の家です。
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川崎市・日本民家園 その1 [建物]

休日の隙間の時間を利用して、川崎市多摩区にある日本民家園を訪ねました。
午後3時に入場したため、日がだんだん陰ってきて暗くなる前にと、駆け足での見学でした。
古民家大好きな人間なので、今年も年間パスポート(1000円)を購入。
ここの入園料は大人1回500円なので、3回以上通えばもとを取れます。

ともかく、最初は宿場の民家、旧鈴木家です。
福島市の奥州街道八丁目宿にあった馬宿で、市に向う馬とその馬方が泊まる宿屋でした。
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江戸東京たてもの園 [建物]

台風15号は日本列島各地に大きな爪痕を残して去って行きました。
9/21(水)には関東地方も暴風雨に見舞われ、多くの帰宅困難者を出しました。
3.11でも公共交通機関が止まって大変な思いをした人が多かったにもかかわらず、今回その教訓は生かされなかったように思えます。

ましてや地震は予測不可能なのに対し、台風は進路も、風雨が強まる時間も、ある程度予想ができます。地上を走る交通機関も風速が強まれば全面ストップとなります。

今回の台風では午前11時に社員を帰宅させる決定をした企業のことがニュースで紹介されていました。その逆に決断が遅れ、通常より社員を少し早く帰したものの、結局電車が止まって長時間身動きできない社員を多く出した企業もありました。
大事な社員の安全にかかわる事柄なので、所属長や管理監督者の迅速、かつ的確な判断が求められます。

さて、今年の春のお彼岸は、3.11の震災直後でしたから行けませんでしたが、秋の彼岸の中日に、父方のご先祖様のお墓参りに行きました。その帰りに小金井公園に寄り道しました。
小金井公園といえば春は桜の名所です。ところが、今回の台風15号により、枝が折れたり、幹が裂けたりした樹がたくさんありました。
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小金井公園の中にある、江戸東京たてもの園に行きました。

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武相荘(ぶあいそう) 〜旧白洲次郎・正子邸 [建物]

今、白洲次郎と白洲正子がちょっとしたブームになっています。
世田谷美術館では「白洲正子」展が行われていますし、それにタイアップするようにNHKでは「白洲次郎」や白洲正子関連の番組を次々再放送しています。

世田谷美術館の展覧会を見た翌日、白洲次郎・正子夫妻が住んだ武相荘を訪ねました。ここは自宅から車で30分ほどの町田市にあり、以前から行ってみたかったところです。

武相荘の入り口。入館料は大人1000円と、ちょっとお高い。
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旧華頂宮邸 秋の公開 [建物]

今月初め、雨の休日でしたが、鎌倉の浄明寺にある旧華頂宮邸が公開されるというので出かけました。

旧華頂宮邸は鎌倉を代表する洋館です。鎌倉市のホームページによると、
「旧華頂宮邸(きゅうかちょうのみやてい)は昭和4年、華頂博信(ひろのぶ)侯爵邸として建てられました。・・・
当初から常住の住宅として用いられたといわれていますが、華頂夫妻が住まわれたのは数年のみで、その後、たびたび所有者が代わり、平成8年5月に市が取得 しました。」

また、華頂宮家とは、
「伏見宮邦家親王第12王子博經(ひろつね)親王を始祖とし、伏見宮家のいわゆる分家にあたります。博經親王は、嘉永5年(1852年)知恩院門跡となり、 万延元年(1860年)得度(出家)しましたが、明治元年(1868年)勅命により復飾(俗世間に戻ること)して一家を創し、知恩院の山号「華頂山」にち なんで華頂宮の称を賜りました。」

華頂宮邸のアプローチ。
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古代倉庫と古代蓮〜中宿歴史公園 [建物]

行田市の古代蓮の里で蓮を堪能したあと、もう一カ所蓮を見に行った場所がありました。
深谷市の中宿歴史公園です。深谷バイパス沿いの「道の駅おかべ」の隣にあり、中宿遺跡を保存・復元した歴史公園となっています。

中宿遺跡からは7世紀後半から9世紀にかけての倉庫群の跡が発掘され、律令国家の郡衙(ぐんが=郡役所)の正倉と推定されています。
「正倉」とは、Wikipediaによると、元来、「正税を収める倉」の意で、律令時代に各地から上納された米穀や物品などを保管するため、大蔵省をはじめとする役所に設けられたもの、という語義だそうです。奈良東大寺の正倉院が現存する校倉造りの代表選手です。

公園内の池に植栽されたのはもちろん古代蓮です。
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瀬戸屋敷のお正月 [建物]

昨年の雛祭りの頃訪れた瀬戸屋敷に再び行きました。
瀬戸屋敷は神奈川県西部、開成町北部の金井島にあり、旧金井島の名主を代々務めて来た瀬戸家の屋敷です。
現在は瀬戸家から開成町に寄付され、再整備されて2005年から農村文化に触れられる地域交流の施設として公開されています。

雛祭りの時の記事はこちらです。
↓ ↓
瀬戸屋敷「里のひなまつり」 〜その1 
http://rains-photogallery.blog.so-net.ne.jp/2008-02-24
瀬戸屋敷「里のひなまつり」 〜その2
http://rains-photogallery.blog.so-net.ne.jp/2008-02-25

お正月なので表門には門松が飾られています。
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鎌倉の洋館・旧華頂宮邸から石窯ガーデンテラスへ [建物]

10月の4日、5日の両日、鎌倉を代表する洋館の一つである旧華頂宮邸の建物内一般公開がありましたので、行ってきました。
旧華頂宮邸については前回の記事をご覧ください。

前回載せきれなかった画像を続けます。

深紅のバラと洋館
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鎌倉の洋館・旧華頂宮邸一般公開 [建物]

鎌倉を代表する洋館の一つである、旧華頂宮邸(きゅうかちょうのみやてい)が10月4日・5日の両日だけ一般公開されるというので、出かけました。

場所は浄妙寺や報国寺に近いところで、宅間ヶ谷(たくまがやつ)という谷戸にあります。
華頂宮邸の沿革は、鎌倉市のホームページによると、次のように記されています。

「旧華頂宮邸(きゅうかちょうのみやてい)は昭和4年、華頂博信(ひろのぶ)侯爵邸として建てられました。華頂家の沿革(華頂宮家について)から、通称的に旧華頂宮邸と呼ばれています。

当初から常住の住宅として用いられたといわれていますが、華頂夫妻が住まわれたのは数年のみで、その後、たびたび所有者が代わり、平成8年5月に市が取得 しました。戦後の接収もあったと思われますが、華頂博信侯爵当時、諸室がどのように使われていたかなどを含めて詳細は不明です。」

玄関側(北側)から見た建物
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西湖いやしの里根場 [建物]

本栖湖近くの富士芝桜まつりを見学した後、西湖のそばの「いやしの里根場(ねんば)」へ寄り道してみました。ここを訪れるのは初めてです。
もっとも、オープンしたのは2006年7月とまだ新しい施設です。

西湖湖畔の根場地区に日本の原風景である茅葺き屋根の家屋を復元し、現在16棟の建物が集落のように固まって建てられています。
それぞれの建物では伝統工芸の体験のほか、資料館やギャラリーの見学、地場産品 の買い物、喫茶・食事などが出来るようになっています。

西湖いやしの里根場の入口
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